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画家の幼い頃の話~芸術一家で育つ   

当アトリエは神戸ですが、画家のホセ・イシグロは、川崎生まれの横浜市育ちです。


ホセ・イシグロが、これまで多くの芸術活動を行ってきた理由についてです。

育った環境が、『芸術一家であった』ということです。


ホセ・イシグロの母親は、画家であり工芸作家でした。

母方の伯父も、日展の入賞常連の、画家・版画家でした。


ホセ・イシグロは、幼い頃から、美術に囲まれた環境で育ちました。


学校から帰ると、家では、母がアトリエで絵を描いていました。

家は、母の弟子たちが何人も家を出入りしているという、他の一般家庭とは違った状況でした。


しかし、ホセ・イシグロが12歳と時に、母は癌を患いました。

母は3年の闘病生活を経て、ホセ・イシグロが15歳の時に、亡くなりました。


母は49歳で亡くなりました。

母は、当時、トキワ松学園女子短大に通っていました。

45歳を超えて、絵の基礎を勉強をしようと、短大へ入学したのです。

母は、大勢の若い学生さんの中に混じって、絵の勉強をしていました。



短大では、多くの学生さんや教授陣と出会えて、母は、ますます美術の道へ邁進していました。

その矢先、母の命の炎は消えました。

母は、まだまだやり残したことがたくさんあったはずです。


その母の思いを継ぐつもりで、ホセ・イシグロは、芸術活動を盛んに行ってきました。


『母の芸術の軌跡』『版画家の伯父』『ホセ・イシグロの芸術活動』については、徐々にご披露していきたいと思います。



by red-fuerte | 2019-03-11 12:19 | 画家の活動記録

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